オフィーチェ

新しいワークスタイルを発信する【オフィーチェ】

三井デザインテック
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Offistyle+

vol.20

実業家・黒﨑輝男に聞く

遊ぶように働き、
働きながら遊ぶから生まれる
新たな世界

ワークスタイルが多様化し、私たちは時間や場所を限定されない働き方を手に入れつつある。選択肢が広がるからこそ、自分はどこでどう働くのか、という本質的な問いに直面している人もいるだろう。そこで今回は、IDEE創始者であり、IID 世田谷ものづくり学校や自由大学、MIDORI.soなどを手掛けてきた黒﨑輝男さんに「これからの働き方」について話を聞いた。

「僕は普請道楽」と話す黒﨑氏。空間を作るときは、まず最初に家具を置くという。そこに置く家具やアートも自分で選びます。それが楽しいんですよ」と語った。

未来の働き方を実践する場

 永田町駅に近いビル群の一画で、その建物は異彩を放っていた。生命力溢れる植栽に囲まれ、1階にはショップやカフェが並ぶ。ビルの世界観を表すようなエレベーターホールから5階に上がると、黒﨑輝男はラウンジに集う人々と談笑していた。
 ここはMIDORI.so NAGATACHO。さまざまな人がそれぞれのスタイルで働く場であり、ワーキングコミュニティだ。黒﨑氏はMIDORI.soの取締役を務めている。
 MIDORI.so誕生のきっかけは、「IID 世田谷ものづくり学校」内に黒﨑氏が創設したスクーリング・パッドにあるという。スクーリング・パッドはデザインや農業、映画、飲食をテーマにした大人の学校のこと。黒﨑氏は、そこに通っていた小柴美保氏らとインデペンデントシンクタンクMIRAI-INSTITUTEを2012年に立ち上げた。
「その頃アメリカでは、若者がインデペンデントシンクタンクに“未来はどうなるか”を聞いて、新しいことをやるのが流行っていたんですね。僕らも働き方の未来を考えようとMIRAI-INSTITUTEを作り、さらに中目黒の廃墟みたいなビルを借りてシェアオフィスを始めたのです。それが、MIDORI.so NAKAMEGUROです」

本当に安心な働き方とは?

 MIDORI.soは単なるシェアオフィスではなく、さまざまな業種、国籍、趣味、考えの持つ人が集まり、ともに働きながら働き方を追求する実践の場だ。中目黒から始まったMIDORI.soはこの永田町のほか、馬喰横山や渋谷と拠点増やしている。
 「MIDORI.soではクリエイターをはじめ、大企業に勤めながら週末に好きな仕事をしている人、政治家を目指している人など、さまざまな人がそれぞれのスタイルで仕事をしています。いきなり会社を辞めるのはリスクが大きいので、会社で働きながら週末はここで好きなことをやって、膨らませていく。そうやって、会社と副業を五分五分にしたり、複数の会社から収入を得るようにする。その方が、一つの会社に依存するより安心なんじゃないかなあ。企業はいきなり何千人もの人を解雇することがあるでしょ?僕もこれまで家具、アート、ファッション、農業と、まったく違う分野のことをやってきました。自分なりにいろいろなものを会得するうちに、やりたいこと、やっていることが“膨らんで”いくんです」
 未来の働き方を実践する場であるMIDORI.so。その空間を形作った黒﨑氏自身はどんな道を歩んできたのだろうか。
「そもそも僕は一度も会社勤めをしたことがないんです。骨董通りで骨董屋を始めて、その隣に来たのがコム・デ・ギャルソンの川久保怜さん。川久保さんに『今度パリでファッションショーやるから手伝ってよ』と言われてファッションショーのお手伝いをしたり、骨董屋で家具を扱っていたこともあってIDEEを始めたり、本を出したりもしてきました」

エンゲージメントスペースのグリーンの壁にはロナン・ブルレックのリトグラフシリーズを合わせている。人と人が集い、語り合うことで何かが始まる。そんな予感がする空間だ。

遊ぶように働き、働きながら遊ぶ 

 人との出会いと、自らの好奇心と感性に導かれ、活躍の場を広げてきた黒﨑氏。そんな彼は自らの働き方についてこう語る。
「僕の働き方は“遊ぶように働き、働きながら遊ぶ”。“働く”と“遊ぶ”の差があまりないんです。日本人は勉強していい大学に入って、いい会社に入って、言われた業務をやるのが労働でありお金をもらうことだと思っている人が多いでしょう。すると、自己矛盾が起きてしまう。労働と遊びがここまできっちり分かれているのは日本くらいなんじゃないかな」 しかし、歴史を振り返ると、日本人の働き方はもっと豊かでクリエイティビティを発揮するものだったという。「百姓という言葉があるでしょう。あれは百の仕事をするという意味なんですね。お米も野菜も作るし、麦わら細工も、大工仕事もやる。今の日本人も、どこからが仕事でどこまでが遊びかわからないような、働くのが楽しいという働き方をしたらいいんじゃないかな。僕はそうやって生きてきたんですよ」
 さまざまな分野で“働く”と“遊ぶ”を行き来しながらいくつものプロジェクトを生み出してきた黒﨑氏は、働く場とも言える組織のあり方についてこう語った。
「ある時、IDEEで新卒を10人募集したら、1500人の応募がありました。僕は途中から面接に参加したのですが、ふと『いい奴が最初に落とされているんじゃないか?』と思ったんですね。会社が大きくなるとルールがたくさんできて、何時には帰らなきゃいけないとなっちゃうでしょ。でも、クリエイティブってそういうものじゃないというのが僕の実感だし、そういう働き方が必ずしも人を幸せにしていないのではと思っています。それに、規模が大きくなるとどんどんグループが分かれて、名前も知らないという人が出てくるでしょう?だから僕は、会社を大きくするのではなくて、小さい会社をたくさん作るんです。大切なのは人と人。僕は家具を作る時にもその家具の鉄の溶接をやっている人と知り合いにならないと作れないんです」

松下村塾のような場所でありたい

 MIDORI.soで出会った人たちが一緒に仕事をしたり、新しいことを始めることもあるという。しかし、単にシェアオフィスという“場”を用意すれば何かが始まるわけでもないという。
「問題に対し、最短で正解を得ようとするのは優等生の発想です。多くの人は“どうすれば儲かるか・仕事が取れるか”ばかりを考えるでしょ。でも、僕らの課題は“何が問題か”を考えること。視点や発想自体が違うと思うんですよね。だから自腹で廃村を買って農園をやったり、一見すると効率がいいとは思えないことをやったりする。ただ、大企業も最近その大切さに気づき始めていて、MIDORI.soを参考にしたオフィスで地域課題に取り組む会社も現れていますね」
 これまでさまざまな人が集う“場”や“働く場”を作ってきた黒﨑氏。人の育て方について尋ねると、こんな答えが返ってきた。
「会社って、好奇心を育てる空気がないと面白くならないし、人を褒めることが大切だと思っています。否定しても意味がありませんから。何が問題なのか、本当は何がしたいのかをそれぞれ自分で考えてもらい、その延長上で方向を示してあげる。すると、その人は伸びていきますし、その人の夢も発展していきます。やりたいことを少しずつ始めて独立するのもありだけど、会社を中から変えるのもありですよね。日本にもかつて、何かやりたい人が集まり、その人たちを伸ばす場所がありました。吉田松陰の松下村塾もその一つです。松下村塾は先生が生徒に教えるというより、誰が何を言ってもいい場所でした。MIDORI.soも松下村塾のような場所でありたいですね」
 働き方の選択肢が広がった今だからこそ、大切なのは「どう生きたいのか」「自分にとって働くとは何か」を考えること。自らに問い続けるとともに、価値観の違う人々と対話することから、私たちの未来は広がっていくはずだ。

最近改装した2階のエンゲージメントスペース。ミーティングや懇親会、各種プログラムなど、コミュニティへの結びつきを高めるための使い方を想定した作りになっている。
東京メトロ永田町駅からのアクセスもいいMIDORI. so NAGATACHO。地下1階から地上6階まで丸ごとMIRAI-INSTITUTEが手がけ、MIDORI.soとして運営している。



text / Kei Yoshida
photo / Teruyuki Yoshimura
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